2019-09-07

月影

月影が 蕩けて淡し 心字池

月光

月光を 集めて妖し 心字池

2019-09-05

金沢

学会で金沢に来ている。
発表は初日に終わったので、昨日は市内を観光していた。M1の冬に来て以来だから、およそ10年ぶりか。

最近、能を観に行くようになったので、能楽美術館に行きたかったのだが、あいにく展示替え中。6日には次の展示が始まるようだが、6日の午後はロボット溶接のPDを見に行く予定なので、残念ながら今回はパスだ。県立能楽堂も中に入れず。

鈴木大拙館はやや人が多かったものの、谷口吉生さんらしいディテールや空間が、哲学者のための建築として非常にマッチしていた。ああいう場所でひねもす本を読み、考え事をできたら、いかばかりか幸せだろうか。

兼六園やひがし茶屋街にも足を運んだが、10年前とあまり変わらない印象だ。それはそれで、長年続いているもののよいところである。ひがし茶屋街へ歩く途中、森八本店で菓子木型美術館なるものを見つけ、帰りに寄ってみた。流れているクラシック音楽とはあまりマッチしていないが、千点以上の木型がぎっしりと並べられた様は圧巻で、思わず見入ってしまう。木型という発想自体は同じものの大量複製に通ずるが、木型そのものは手作業による一品生産であるという、オリジナルとコピーの対比が面白く、やはりオリジナルとみなされるものだけが展示に耐えるのかもしれないという考えが浮かぶ。

金沢21世紀美術館に戻り、佐藤浩一氏の「第三風景」を観る。性と身体を奪われたイチジクを通してユートピア=ディストピアを描く展示は、最近読んだ「幸福な監視国家・中国」で取り上げられていた功利主義の果ての反自由主義ともテーマを共有しており、なかなか楽しめた。原子、細胞、身体、家族、国家、…、どのレベルにおける個体を重視しているのかを意識すべきなのだろう。メインの粟津潔氏の展示は、あまりに混んでいたので回避。

マックイーン モードの反逆児

「マックイーン モードの反逆児」を観た。

創造と犯罪は紙一重ですらない。両者はともに、マジョリティからの逸脱、モードへの反逆であり、非凡singularityに与えられた別名に過ぎない。マジョリティとは異なる視点によって逸脱がつなぎとめられれば創造と呼ばれ、マジョリティの視点によって排斥されれば犯罪と呼ばれる。その差は、一切の理屈抜きに物理的身体に訴求する印象の有無が生み出すように思う。つづめて言えば、感動できるか否かに懸かっている。

やはり写真で見るのと映像で見るのとでは、ショーから伝わってくる印象が段違いだ。真っ白なドレスに2台のロボットがインクを噴射するショーは、着色の舞というプロセスであってこそ、感涙を誘う印象の強さを発揮する。モデルとロボットがダンスを交わし、汗とインクが混じる様子に、解釈するよりも先に身体が反応してしまう。いや、解釈より反応が先行するのは常に起きているとしても、その前後関係の擬制がうまく働かないほど、刺激がイレギュラーだということだ。擬制によって成り立っている自意識が薄れた忘我の状態がつまり、感動である。

2019-08-14

マリアノ・フォルチュニ 織りなすデザイン展

三菱一号館美術館でマリアノ・フォルチュニ 織りなすデザイン展を観てきた。

やはり「デルフォス」やテキスタイルが目を引くが、舞台装置やデスクライトなどの発明家・エンジニアとしての仕事も豊富なのが面白い。細やかなプリーツを特徴とする「デルフォス」が、200mm立方ほどの小さな箱へと捩れて収まっているあたりに、収納の仕方までを見据えたエンジニアリングを感じる。折り紙にも通ずるfoldの極致だ。クラシカルな素養はもちろんのこと、発明家やエンジニアとしての視点があればこそ、「デルフォス」が画期的なファッションデザインとしてまとまったのではないかと思う。


2019-08-13

千夜千冊エディションチャレンジ

松岡正剛氏の千夜千冊をテーマ毎に文庫化した「千夜千冊エディション」が出版されている。既刊は10冊だが、これを7月の一月で読み通す「千夜千冊エディションチャレンジ」を密かに実行していた。結果としては、読破に一月半。関連して購入したのは、44冊の本と2枚の能のチケット。締めて10万3479円也。

読書量、知識量、編集力、語彙力、…。入力から出力に至るあらゆる局面において、氏の情報遣いとしての圧倒的な巧みさを感じる。
精進の足りないことを身に沁みて、「神と理性」を十日ほど待つ。

2019-08-08

代名詞

曖昧見舞い
結う結わう結わず
ウイアは明日会わず