2015-12-16

同一

ダニエル・エヴェレットの「ピダハン」という
本を読んでいる。

まだ半分くらいであるが、科学を通して把握される
世界にとって、ピダハンの人々は極めて特殊だ。
著者によれば、数量詞や色名等、言語学の常識からすれば
言語一般に備わっている単語がなく、音素も圧倒的に少ない。

果たして西欧的な意味での意識をピダハンは
もっているのだろうか。
(意識の有無は別に優劣ではなく実装の問題であるから、
例えばLISPとFORTRANの設計思想の違いのようなものだ。)

コンピュータの世界でデータを圧縮する際には、
何をもって同一とするかが重要になる。

認識が入力された情報の圧縮なのだとすれば、
情報のどの部分を同一とみなすかがキーになる。
同一性に関する公理が定まれば抽象が可能になり、
差異から意味を取り出すこともできるようになる。

この「同一性に関する公理」こそが意識のあり方を
決めているのだとすれば、西欧人とピダハンとで
全く異なる世界を認識しているという事態も、
ありえないことではないと考えられる。
ノーム・チョムスキーの言う生成文法というのは、
「同一性に関する公理」がホモ・サピエンスにおいて
一通りであるという意味なのだろうか。
同一性の同一性はどうやって検定したらよいのだろう。

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