2018-10-17

免疫の意味論

多田富雄「免疫の意味論」を読んだ。

免疫系という判断機構による是と非の振り分けは、多義的で曖昧で冗長な仕組みに支えられている。ランダムな変異の中で次第に生じる判断の偏りは、洗練された一つのまとまりをなしていくと同時に、固定化を免れるようにして、常に変容し続ける。免疫系を境界として現れる物理的身体の「自己」は、そのような可塑性をもつ超システムとして振る舞う。

超システムは、柔軟であるが故に不安定でもあり、メンバーの多様性、エレメントの自己言及的な補充可能性、メンバー同士の相互調節できる関係性といったものが一つでも欠ければ途端に破滅に至る。是への非が止まらなくなる老化、是と非の判断がなされなくなるエイズ、是非への過剰な固執によるアレルギーといった超システムの機能不全は、意識、言語、都市、国家などの他の超システムでも、認知症やポピュリズムなどのかたちで顕在化しつつあるように思われる。

超システムという発想に立てば、確固たる「自己」というのは、認識論的には成立しても、存在論的には成立しない。むしろ、あらゆるものが可塑的な超システムとして存在する中で、可塑性を無視した第一近似によって情報を大幅に圧縮するのが認識という過程であり、その最たる例が、意識による理解なのかもしれない。

何かを理解するにはその近似も必要なのだろうが、固定化と発散の間で生成される超システムを殺してしまわぬように、理解の仕方もまた超システムたらんとしなければならない。

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